卒論生のとんでもない勘違い

岩熊哲夫

2009年2月21日


卒論生のとんでもない勘違い

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先生は答・結果を知っている: まさか。 宿題じゃないんだから決してそういうことはない。 もちろん先生の経験から,こんな内容の結論が出たらいいなぁと 思いながらテーマが決められている場合が多いとは思うが, そうなるかどうかはやってみないとわからない。 卒論生が手を動かさない限り答に近づく道は無いのである。
最初に指示された計算・実験の結果が出たらほぼ終わりだ: これも まさかである。 その逆で,最初の結果が出たところが本当の「始まり」である。 最初の結果はその研修の方向を決めるための第一歩に過ぎない。 それを見た上で次の計算や実験をどのようにすべきか考えるというプロセスが入る。 最悪の場合は,テーマそのものの変更もある。 これは教員のミスの場合もあるかもしれないが, 新しいことをやるときには避けられないプロセスでもある。 したがって,できるだけ早めに最初の結果を出すべきである。 特に最近,最初の指示を2月までに済ませればいいと勘違いしている 学生が増えてきたような印象がある。
得た結果(実験ですら)は六桁で正しい: 高性能の 計算機ですら,それは当てはまらない。 世の中には「倍半分1の世界」というものも存在することを知るべきである。
変な結果を出す計算機は壊れている: 計算機ではなく, それに命令したプログラムやデータ,つまりはプログラムとデータを作った 人間が間違っている。
論文は1週もあれば書くことができる: 結果がすべて揃っており, 図表化も終わっている状態から論文を書き始めたとして, 普通の教員なら論文の草稿ができるまでに 約一ヶ月はかかるだろう。最初の1週間で粗っぽい草稿ができて 数日休ま2せる。 次の1週間で60$\sim$70%の出来の草稿を書き上げ,また数日休ませる。 再度推敲をしてうまくいけば, ほぼ満足できる草稿になると考えて欲しい。 このような論文執筆を生まれて初めて卒論生がやるのだから,二ヶ月は かかってもおかしくないと考えるべきである。
すべて二ヶ月もあれば終わる: 上述のようにそれは不可能である。 教員でも無理。
最後は先生や先輩が助けてくれる: 十分な結果があれば それもあるかもしれないが,自分の手を動かさずして援助の手が差し延べられる ことはあり得ない。
ワードプロセサや描画・発表ソフトウェアは論文を書く段階・ 発表する段階で使い始めれば十分だ: 1月に卒論を 書いている段階で,最近よくある例を挙げておく。 教員が「この図のここは網掛けにして,ここにこういった挿画をしなさい」と 指示したとしても,網掛けの機能を先輩から聞きだして描けるようになるのに半日, 挿画に至ってはその方法を教わるのは半日だが,描くのに1週かかる。 締め切り日までにどうやって卒論を書き上げるつもりなんだろう。 また本番の発表を始めた途端,違うスライドが表示されてそれを正しくできない, 所定のスライドを表示するまでモタモタ3する。 何のために夏休み!!!があったのか。
先生・先輩は常に正しいことを言っている: さて, 場合によりけりである。 推測を述べている場合もあるし,希望を述べている場合もある。 また卒論生の質問の真意が通じていない状態での助言である可能性もある。 本当に知りたいことが得られるまで,しつこく情報交換と意思の疎通をすべきである。 とにかく大学に来ること,週に1回は教員に進捗状況を 報告すること,疑問点を質問することが大事。
卒論を提出したら卒業できる: 極力卒業させてあげたいが, それに値しない研修生活(大学に滅多に来ない,最初の指示の結果だけしか 出ていない)しかできなかった学生を卒業させたいとは思わないのも 正直なところである。
卒論発表なんてちょろい: まさかなのである。 最初の練習で,卒論生が発表していることが理解できる先生・先輩は ほぼ零であると思って欲しい。ただし,これは全員が経験すること。 何を目的にしているのか,どういうアプローチなのか,何をしたいのか, 何を言っているのかすらわからないというのが, 最初の発表練習でもう何十年も続いている状況である。



... 世の中には「倍半分1
インターネット上で紹介されている意味とは異なる使い方を我々は しているようだ。結果が2倍や半分でも誤差の範囲ってこともある ということを指している。
... 数日休ま2
書いた内容を一旦忘れると推敲がし易い。
... 所定のスライドを表示するまでモタモタ3
コンピュータの電源設定をいい加減にしたことから, スクリーンに表示されるのがログイン画面だったりする。


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